東方美人、凍頂烏龍茶、文山包種茶。
何のことだか分かりますか?いわゆる台湾三大烏龍茶です。文山包種茶は台湾を代表すると言われる台湾三大烏龍茶の一つです。
文山包種茶とは、名前からして文山地域でできた包種茶だと分かるのですが、この包種茶の歴史は古く、台湾が清朝の支配下にあった時代まで遡ります。
台湾茶が国際的な注目を浴びたのは、19世紀後半にスコットランド人のジョン・ドットが台北にお茶の再製工場を建設し1869年に初めて台湾烏龍茶 (Formosa Oolong Tea)をニューヨークに出荷したことから始まります、台湾烏龍茶はニューヨークで人気を博し、他の国へも輸出が拡大、出荷量が5年間で4.5倍に成長しました。日本統治が始まる1895年頃にはなんと台湾の輸出量の45%を占める重要輸出品目になりました。
事件はそんな台湾茶の成長期の最中に起こります。1873年にイギリスの茶商が急にお茶の買付を中止しました。売り先を失った膨大な烏龍茶の在庫を前に途方に暮れる台湾の茶商は奇策を思いつきました。台湾の烏龍茶を福建省福州に移送して薫花して東南アジアに輸出したのです。この作戦は大成功となり、その後福建省の茶商が渡台して、台湾で包種茶の製造が開始しました。ちなみに東南アジアに輸出された包種茶はタイやジャワで独自の進化を遂げていきます。
薫花とは花の香りをつけること。花の香りをつけたお茶で分かりやすいのはジャスミン茶ですが、薫花したお茶は綺麗な模様の入った紙に包まれて売られていました。包種茶の名前の由来はここにあります。
現在は薫花はしません。極めて軽く発酵させ、現在主流の烏龍茶が球状や半球状なのに対して、ゆるく縮れた形をしています。このことにより、お茶を淹れた時に蘭の花の様な香気が立ち上がります。味わいは緑茶に近く、日本食にもよく合います。
高山茶は台湾南部の鉱山で作られますが、包種茶は台湾北部の台北・新竹・宜蘭・坪林が産地となっています。文山というのは今の新北市文山区ではなく、日本統治時代の行政区分では現在の文山区に坪林区も含まれていたので、当時の行政区分でいう文山が名前だけ残っているものです。
文山包種茶
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